12/02/04: 1、2日のうだうだ/頭の中の言葉がわかるというのは、やっぱスゴいことだよなぁ
阪堺線宿院。
昔々、ここいらへんに僕が生まれた場所、堺市立病院、通称市民病院があったのだった。当時の実家は合併以前の登美丘町にあったのだけれど、行政的にはさておき物理的には堺生まれといって嘘にはならないはず。
中学に入って間もなく、体調を崩してひと月少々通うことにもなったのもここなんだよなぁ。
市民病院は、その後2度の移転があって、さて、今どこにあるんだったっけか? という具合なのだけれど、それでもこの界隈はまだ記憶に残っているアレコレが結構残っている。このわかったようなわかんないような案内もその一つ。
Science decodes 'internal voices'
この日の最大のびっくりは、どう転んでも「Science decodes 'internal voices'」(BBC News) 、「Mind-reading program translates brain activity into words」(The Guardian)
だよなぁ。元ネタ「Reconstructing Speech from Human Auditory Cortex」(PLoS Biology)
は、まだ読んでないけれど、あらましだけでも充分魂消ちゃうよなぁ。
日本語で読める記事もぼちぼち出ていないわけではない。
- 「聞いた言葉、脳波測定で再現=考えるだけで会話の装置期待 米大学チームが基礎技術」(時事ドットコム)
- 「脳の信号から、心の声が読み取れました」(ギズモード・ジャパン)
- 「ついに読心術・テレパシーが可能に『人の心を読み、音声再生』することにカリフォルニア大学が成功」(DDN JAPAN)
しっかし、三大新聞あたりはどうなってるんだぁ。それとも、こういう話って大したことぢゃないって考えるのが日本の常識なのか。今実家にいてテレビも見ちゃってるんだが、NHKでも報道はないみたいだ。どうなってんだ、まったく。こういう技術って、仄見えてきた可能性って水準に過ぎなくたって、スゲーと思うんだが。見た映像、聞いた音響を脳から読み取る以上のレヴェルのことが行われているってことぢゃぁないか。動物と同じような器官の働きが読み取れたというのぢゃなくて、ヒトに特有なところに関わってるわけでしょぉ? 単に何かのタイミングで見落としているのかしら?
オーム社 (2007-10)
『火星ダーク・バラード』読了。話は面白かったといってもいいのだろうけれどなぁ。描写の面白さには欠けるというところなんだろうか。書き込み方を変えれば……みたいなことを考えさせるところが結構ある。といって、僕にそういう書き換えが出来るわけではないのだけれど。SFらしいガジェットが登場するわけでもなくて、そこいらへんは個人的な趣味の問題なのだろうけれど、いくらか喰い足りない。と、毎度ケチをつけつつも、早川から出てた新作あたり読んでみようかしらと思っているところ。
角川春樹事務所 (2008-10)
立ち読み課題図書、その他
NHK出版 (2011-11-08)
強力プッシュ中。21世紀前半の日本では必読書。科学史関連の記述についての細かな問題点についてはDaily Life:「科学的思考」のレッスン 参照。細かな問題点があったとしても、やはり必読書であることには変わりない。
日本文芸社 (2012-01-30)
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浜寺公園。この寒いのに、菜の花(の仲間かな?)が咲いている。大したもんだよなぁ。
どうもこのところ精神が弛緩しておりますな。いかんですな。
中村綾緒インタヴュー
「INTERVIEW Vol.05 中村綾緒 / Ayao NAKAMURA - interview」(parapera) 、作品も言葉もどんどんおもしろくなって来ているんだなぁ。大したもんだぜぃ。
写真作品に対してこういう云い方をするのは変だよなぁと自分でも思うのだけれど、今の中村の写真(とその展示方法)って何かしら触覚的なところがあるように思える。焦点の合った視覚によって、光に満ちた世界を整然と分節し適当な物語に収めるのではなく、暗闇の中、事物を指先でまさぐりながら、覚束ない触覚のうちにヴィジョンを構築していくような。整然とした視覚はたいていの場合思いの外概念的なものだけれど、そういう概念的な視覚に映る事物の輪郭を滲ませ、新しい概念の構築を図るような。以前の作品は、概念的な視覚の輪郭の滲みを指さすようなものだったのが、その滲みから別の視覚を創りだそうとするようなものへと変化している。と、「ような」ばっかりで話をしたって通じないんだろうけれどさぁ\(^o^)/。うーん。でもまぁ、そうなんだからしょうがない。
立ち読み課題図書、その他
NHK出版 (2011-11-08)
強力プッシュ中。21世紀前半の日本では必読書。科学史関連の記述についての細かな問題点についてはDaily Life:「科学的思考」のレッスン 参照。細かな問題点があったとしても、やはり必読書であることには変わりない。
草思社 (2012-02-02)
これだけの長さなら。
草思社 (2012-02-02)
&『銃・病原菌・鉄 (下) 1万3000年にわたる人類史の謎』(草思社文庫)も。本日発売。
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12/01/30: 29日のうだうだ/2100年は金曜日から始まる21世紀最後の年なんだけれど、
業平橋駅の脇にあったこのお地蔵様はどこへ移動したのだろうか。写真は2009年9月はじめ頃。
街の様子は少しずつ変わってゆく。そういうのって眼にははっきり見えているはずなのに、ロクに意識していないんだよなぁ。
「100年かけて増えたものが、100年かけて減っていく」(sociologbook) 、日本の長期的な人口の増減の話。「与太」でも何度か触れてきたことではあるけれど、やはり事態のもたらす影響の大きさの割に触れられる折の少なさが気にかかる問題だよなぁ。
ちょっと事情があって、いま再開発とかタワーマンションのことについていろいろ調べているのですが(facebook参照)、ちょうど今日、その領域での第一人者の研究者の方のお話をいろいろ聞く機会がありました。
話の本筋と関係ないところですが、妙に印象に残ったのが、「いまのタワーマンションはメンテさえすれば100年持つ」という話でした。その方はタワマンには非常に批判的な方なのですが、技術的にはここまで進歩した、ということでした。
実は、さいきん私は、勉強のためにタワーマンションのモデルルームや現地の部屋などを見学してまわっています。もちろん、絶対に自分では購入しませんが。
(中略)
さきほど、都市工学の研究者の方から「タワーマンションは100年後も建っている」と聞いたときに、すぐに思い浮かべたのがこのマンションのことでした。
さいきん、大阪でもあちこちに建ってます。売れてるのもあるし、売れ残ってるのもたくさんあるそうです。それはいろいろですが、とにかく人口が1/3になり、その半分以上が高齢者、という時代になっても、いま建てられているタワーマンションは立ち続けているそうです。
どういう光景になっているだろう、と思います。
もちろんいまタワーマンションを買って住んでおられる方々に対して何かを言うつもりはありません。繰り返しますが、若いときに都心に住むためには、かなり良い選択肢だと思います。私の友人も何人か住んでいます。
いまじゃなくて、100年後に誰が住んで、どういう光景になっているか、ちょっといろいろ想像して、いろいろ考えてしまったので、「個人的な感想」ですけども、書きました。気を悪くされた方がいたら、ごめんなさい。ほんとに個人の感想です。
100年後をどんなふうに想像なさったのかは書かれていないのだけれど、でもそのへんを読者に委ねるうまい書き方だよなぁ。
100年後の人口予測には、いろいろな数字が上がっている。4000万人台から6000万人台が比較的多いところ。このへんは、「気力、never more、ですねぇぃ」 で触れた。8000万人台、中には9000万人台なんていうのもあるけれど、それはちょっとどうだろうか。いずれにせよ、おおよそ100年かけての人口半減というのは、非常に急速な変化だということは留意されていいことだ。
「いまのタワーマンション」が果たしてメンテされ続け得るものなのかどうか。ヒトが住まなくなって、あるいは利用されなくなって、放擲されてしまったと思える建築物は都内でも見かける。そういう建物がメンテナンスされ続けているのかどうか、いささか怪しく見えることも少なくない。たとえば、「僕がしたいのは素朴な話なのだけれど、」 なんかで取り上げた建物だってそうだ。ネット上を漁れば、都内というわけではないけれど、いろいろな放擲された廃墟ものの写真は珍しくない。あぁいうものが、これから日本の至るところで見られるようになる。
「人口半減ってさ、日本語ユーザの半減とほぼ等しいできごとなんだよなぁ」 では、
人口密度が急速に低下すれば、家の灯火、街灯といったものの数も減るだろうか。街灯の数は維持されるだろうか。街灯の数を維持すれば、単位人口あたりの街灯に対する負担は増える。減らせば、夜間安心して歩ける範囲は狭まる。そういうことってたぶんいろんな領域で考えられることなんぢゃないだろうか。
安心と密度を両立させようとすれば、ヒトの居住の場は一箇所に集中しなければならない。日本全体で考えれば、地方と都市の問題につながらないか。夜の地球を写した衛星写真には、街の灯で描かれた日本の形。そういう満遍ない光の配置、住む場所の配置はあり得なくなる。
もちろん、街灯だけの話なら人口が少なくとも、街灯以外に関する高効率経済が実現できれば、ひょっとして密度も広がりも維持できるかもしれない。けれど、文化の質、たとえばアニメの多様性のようなものの場合はどうだろうか? 経済的な豊かさが確保できても鑑賞者の絶対数が減少してしまうとき、今日のような多様なメディアを通じて配信流通しているようなアニメのあれこれは命脈を絶たれかねないピンチを迎えないだろうか? アニメほどの多様性さえないあれこれは?
というような説明を試みた。仮に一箇所に集中してヒトが暮らすようになれば、放擲された街灯はどうなるかということだって気になる。「街灯」はタワーマンションでもあり、発電所みたいなものであり、その他あれこれでもある。都市周辺であれば、スラムが生じることは不可避だろう。そういうハードの問題ばかりではなく、ハードによって支えられるソフト需要への多様性が消えてゆくことだって考えられる。
経済系の方のネット上での書き込みを拝見していると、経済は人口減少によっては必ずしも縮小しないのだという話もある。それは、街灯で云えば、安心と密度の両立を可能にするほどのものなのか、ソフトの多様性を維持できるほどのものなのか、書かれているかぎりのところでは、どうもよくわからない。「ほどのもの」ならば、人口が減ったってどってことないのかもしれない。でもなぁ、都内の散歩コースで目にする放擲された家屋、建築物のことを考えると、今でさえこれなのだから、という思いが湧いてくる。
100年という数字だけ眺めていると遠い未来のように思えてしまうかもしれないけれど、急速な変化は今現に起こっていることであり、100年以上の未来にわたって続くものなのだ。大地震の類だって、今世紀中には複数回、日本を襲うことになるのは、ほとんど既定の事実みたいな話も聞こえてくる。タワーマンションにかぎらず「街灯」のメンテナンス問題、場合によっては復興問題は、相当大きなものとなってくるだろう。こういうとこいらへん、僕自身は老い先短い身だからしてどってことないんだろうけれど、お若いヒトたちはよくよく考えておかないと、人生設計に大きな不本意な影響を被ることになる。
今、TVで国会中継を眺めているのだけれど、どうも大人たちはそのへん思いっきり呑気に構えているように見える。悪いけれど、若いヒトたちは、自分の頭でそこいらへんを考えるより仕方がないんぢゃないかしら。さて。
早川書房 (1986-09-17)
立ち読み課題図書、その他
NHK出版 (2011-11-08)
強力プッシュ中。21世紀前半の日本では必読書。科学史関連の記述についての細かな問題点についてはDaily Life:「科学的思考」のレッスン 参照。細かな問題点があったとしても、やはり必読書であることには変わりない。
講談社 (2012-01-20)
クラウドものはいろいろ出ているけれど、描き手がどれくらい使いこなしているのか怪しいものって多いよねぇ。これは比較的ちゃんとしてそう。対象読者は理系の研究者さんみたいだけれど。
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12/01/30: 28日のうだうだ/それにしても、大阪の空は雲が多いな
何となく見上げる@信濃路。
信濃路の天井からは、何かしら中途半端なモノが生えている。どういうアレなのかよくわからない。
火星ダーク・バラード
どういう勢いでだか上田早夕里『火星ダーク・バラード』をぼそぼそ読み始めたところ。円城 塔が受賞し損ねた小松左京賞受賞作というあたりの興味も少々。萩尾望都『スター・レッド』みたいなネタなのかな?
この作品に限った話ではないのだけれど、日本の現役SF作家さんの作品のたいがいは、高村 薫作品読了直後に読むと言葉の密度が低いなという印象を受ける。別にそれが作品にとって致命的な欠陥というわけではないし、「言葉の密度」という表現自体なんだかわかったようなわからんようないい加減なものなのだけれど、まぁ個人的に気になっちゃうんだからしょうがない。
角川春樹事務所 (2008-10)
立ち読み課題図書、その他
NHK出版 (2011-11-08)
強力プッシュ中。21世紀前半の日本では必読書。科学史関連の記述についての細かな問題点についてはDaily Life:「科学的思考」のレッスン 参照。細かな問題点があったとしても、やはり必読書であることには変わりない。
中央公論新社 (2011-09-22)
僕自身は地図をちゃんと利用して散歩することは少ない。でも、地図そのものを主題とした散歩本(なのかな)というのはおもしろそう。のっけが三角測量の三角点だとか水準点とかから始まるというあたり、続きが気になる。
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12/01/28: 27日のうだうだ/古きを訪ねて古いってことしかわからないというテイタラク
何となく見上げる。
実家界隈のあれやこれや、見覚えのあるものはたいがいボロっちくなっているんだな。
というか、見覚えを得た段階ですでにそれなりに古びていたものがいっそう古びたのだというのが正しいのかもしれない。当時ほどほどに古かったものは消えて新しいものになり、さらに……、というのが冷静になって考えてみると変化の実態に即している。あまりに古びたものは自己更新の力を失ってしまうということだろうか。うーん、ウェブページやらブログやらと似たようなもんか。
蒲原有明に帰れ
「蒲原有明って、いずれにしたって変な詩人さんなんだけれど……」 で取り上げた蒲原有明、どうもみなさん蒲原有明を受験勉強における文学史で登場していた詩人さんとしてさえも記憶にとどめていないことが多いみたい。なんかなぁ。まぁ、僕がいくらすごいすごいと喚いてみても信用されないというのは、もう常のことではあるのだけれど。ぶー。
しかし、たとえば数少ないとはいえ、優れた詩人の中にはやはり蒲原有明のスゴさがわかっているヤツもゐるものなのだ。たとえば萩原朔太郎。
蒲原有明は僕の崇拝する唯一の詩人。貴君がそれに着眼されたるは流石です。実をいへば詩集「月に吠える」出版の時、序文を是非蒲原有明先生にたのみたく再三書簡を以て懇願したるも返事を下さらないので、遺憾ながら意を果さなかつたやうなわけです。かく僕が蒲原氏の序を切望したるは、僕の詩を以て蒲原氏の新しき正派を自任したからです。有明詩集中、独絃哀歌あたりの作品は実に名篇であつて、今よんでも涙が出るほど好い。何と言ふか、情緒が濃厚でしかも神秘的であつて、あたかもポオの恋愛抒情詩の如く、それで東洋風の香気が強い。「恋」の神秘にして甘き情緒は、僕、有明によつて始めて知れり。この恋の如く神秘的にして、本質的に音楽の情緒に近いものはない。僕の「月に吠える」中なる二三の作品が如き、正にこの神韻を摸してこれを俗化せるものなり。
さらに、
私信が余談に渡つて失礼しました。とにかく蒲原有明氏は、今日の詩壇の先駆者であつて、永遠に価値を有する天才です。今日の無内容な詩壇に向つて言ひたいことは、実に一語「蒲原有明に帰れ」である。(以下略)
ibid.
とまで云い切っている。「永遠に価値を有する天才」ですよ、まったく。
とはいえ、朔太郎の云う「情緒が濃厚」、「ポオの恋愛抒情詩の如く」云々は、さて有明の目にどう読まれたかはわからないところ。有明の自伝小説『夢は呼び交す 黙子覚書 』 *2の記述を信じるなら、むしろ有明自身は自身の叙情の欠如に悩んでいたからだ。
……おれには叙情についての才能が足りない。かれはつくづくそう思って困惑した。素直に情感が流れて来ないということは、そういう濃やかな雰囲気を醸し出す境遇にかれが置かれていないという事、その事をかれは次第に自覚してきた。かれはこの叙情の才能に欠けていることを、詩人として立つ上において殆ど致命的であるかの如く思い詰めた。実際にその作詩は情趣に乏しかった。題材は自然、神話、伝説にわたって、各異ってはいたが、事象の取扱はいずれも外面的で、どうやら合理的科学的な方法への傾向を持っていた。その上にも時事問題にまで心を牽かされていた。それはそれで調和が取れていれば好かったが、ただわけもなく雑然と混糅していた。
と、彼は書いている。もちろん、そこにとどまっていたわけではなく、
鶴見*3がそこに気がついてから、これを苦にして漸くにしてたどりついたのが言葉の修練ということである。先ず自分に欠けている情趣を自分のなかから作り出そうという考に到達した。さてその考を実現するには何を根本に置くべきか。それが順序として次に解かねばならぬ疑問である。かれはその当時それほどまでの分別はしていなかった。それにしても既に案出した問題の性質から、詩の重要性が言葉の修練にあるということの暗示を受けていたのだろう。かれはだんだんその方に目を醒ましていった。鶴見が晩年に至るまで、言葉の修練をかれには似合わず執拗に説いていたのは、その由来がそういうところに深く根をおろしていたからである。
言葉の修練を積むに従って詩の天地が開闢する。鶴見はおずおずとその様子を垣間見ていたが、後には少し大胆になって、その成りゆきを見戍ることが出来るようになった。それと同時に、好奇と驚異、清寧と冷徹 詩の両極をなす思想が、かれを中軸として旋回しはじめるのを覚える。慣らされぬ境界に置かれたかれはその激しい渦動のなかで、時としては目が眩まされるのである。
こういう経験をかれは全く予期しなかった。あとから思量すれば、そういう経験のなかに、近代ロマンチック精神の育くまれつつあった実証が朧げながら見られる。
ibid.
と自分の境地を拓くことになるのだけれど、どうもその境地が普通の意味での抒情とはいくらも隔たりがあるものなんぢゃないかしら。有明の独特のエロスや濁った感覚は、たしかに朔太郎の詩に受け継がれているように思えもするのだけれど、ストレートに「濃厚な抒情」なんて云われると、さてソイツはどんなもんか、ちょいとわからない感じ。
というようなことはさておき、「蒲原有明に帰れ」というわけで、もっと蒲原有明は読まれていい詩人さんだと思うんだがなぁ。まぁ面倒臭い漢字やら仏教用語みたいなのが出てきて辞書を引き引きになっちゃうのがアレなのだけれど\(^o^)/。
人はなぜだまされるか
石川幹人『人はなぜだまされるか』読了。『人間とはどういう生物か』とは違って、著者独自の見解を存分に打ち出したというのではなく、進化心理学の雑学集&入門書という感じ。すでに知っている話題も多かったけれど、気楽に楽しく読めるのがいい。進化心理学をちょっと覗いてみるというのには、たぶん打ってつけかもしれない。
どうも有名なものらしいんだけれど、初めて知ったのがエリザベス・ロフタスの実験。
図3.6のように二つの円を互いに線で結んだ図形を見せて、あとで思い出して描画してもらう実験では、「メガネだ」と言って見せた場合と、「ダンベルだ」と言って見せた場合で大きく異なった。「メガネだ」と言って見せればもとの図形よりもメガネらしく、「ダンベルだ」と言って見せればもとの図形よりもダンベルらしいのだ。人間は図形をそのまま写真のように記憶するのではなく、概念的な解釈とともに記憶していることを示している。
この図形の変形は、カリフォルニア大学の心理学者エリザベス・ロフタスが報告したものである。……
p.72-3
実験の詳細がもう少し知りたくなるところだけれど、残念ながら書かれていない。上図のような結果は被験者の平均的なものだったんだろうか。とかはまぁさておき、ヒトの記憶の覚束なさについていろんな話は耳目にしてきたし、そんなもんわざわざ耳目にする以前に自分の物覚えのとてつもないアヤフヤ具合にうんざりさせられること度々とはいえ、しかしまぁ、これほどのテイタラクぶりには目を見張りますな。いやはや。ロフタスの実験は、さらに進んであれこれ話が出てくるのだけれど、このネタは簡単にそれっぽい図も描いてヒトに紹介できるもの、覚えておくべし。
講談社 (2011-07-21)
しかしなぁ、このタイトルは本書全体をまとめたもと云えるかどうか。正確には「ヒトはなぜ正しく物事を見定められないか」みたいなところかなぁ。まぁそれぢゃぁ様にならないか。こういうタイトルのほうがヒトの目を惹くということはあるんだろうけれど、うーん、どんなもんかなぁ。
立ち読み課題図書、その他
NHK出版 (2011-11-08)
強力プッシュ中。21世紀前半の日本では必読書。科学史関連の記述についての細かな問題点についてはDaily Life:「科学的思考」のレッスン 参照。細かな問題点があったとしても、やはり必読書であることには変わりない。
ソンタグの小説なのださうな。
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