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最終更新:2014-04-25 14:45:39  
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久しぶりに浜寺公園駅を眺めに出かけてみると、周囲の店舗の取り壊しが進んで更地がまた広がっていた。駅前の通りで残っている古い店はもうこれくらいしかない。

駅舎は高架化後もどういうふうにだかその詳細はわからないがその形は温存されるらしい*1。とはいえ、現状、

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という具合で、傷みは隠せないというかあからさまというか。新駅の運用はおおよそ10年後という話らしいが、それまで現在の駅舎がきれいな形を保っていられるのか、何となく不安を覚えたりする。巷間よく謂われることではあるけれど、同じ辰野金吾の設計なのに東京駅との扱われ方の違い、ちょっと目眩がするくらいだ。

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比べてみると東京駅などずいぶん無骨な建物ぢゃないかと思えてくる可憐な駅舎ぢゃないか、可愛いヤツぢゃないか( ´Д`)=3


画面右のステーションギャラリー、さほど頻繁に利用されていないように感じられるのだけれど*2、何度か覗いているうちにその理由がわかったような気がする。

ステーションギャラリーは旧一等待合室というだけあって、屋内、なかなかになかなかな厳かな品格みたいなヤツが漂っていて、下手な手芸や服飾の展示では出し物のほうがソイツに完全に負けてしまうのだな。たぶん、別の場所で展示していればそれなりに見栄えのしそうなものが実質以上に貧相に見えてしまう。例外的なものもないではなかったけれど、僕の眺めた範囲ではたいがいがそう。せっかくの手作りが惨めに見える場所でヒト目に触れることを望むヒトは、そうそう滅多いるもんぢゃないだろう。もうひと踏ん張りすれば、漂っている品格が助けになって、実質以上に作品がデラックスに見えるということも起こらないでもないんだろうけれど。

ここは、名前のあるアーチストさんでも呼んで、空間利用の仕方からよくよく考えた出し物を案出するべきなんぢゃないか。そういうことを何度か繰り返せば、駅の利用者も増えるに違いない。利用者が増えれば駅舎のメンテナンスも何とかなりゃしないかなぁ。うーん。


「アーバンパークライン?」(中村真吾 ブログ) はてなブックマーク - アーバンパークライン?|中村真吾 ブログ、野田線の名称変更のお話。東武のネーミングセンスってヒドいもんなぁ。伊勢崎線も東武スカツリーラインだっけか、一応は別称の体裁らしいけれど。あと「とうきょうスカイツリー駅」の「とうきょう」の必然性のない仮名への開き方とか。

真吾先生のエントリ中の《東京スカイツリー → 東京天空木偶の棒》で思い出したことを一つ。東京スカイツリーの中国語名のことだ。以前にも触れたのだけれど、開業前の案内では「東京天空樹」とされていた中国名が直前に至って「東京晴空塔」になってしまったというやつ。

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略字体の表記と並んで《東京天空樹(建設中)》という文字列がわかるでしょ? それが直前になると、

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とご覧のように《東京晴空塔》という、なんだかなぁ、なヤツになってしまったのだ。

以前は、中国語ネイティヴである弘麺の社長が云う通り、「天空樹」では名前から実体が想像できないけれど「塔」ならわかるという話をそのまま信じていたのだけれど、実はそういう理由による変更ではなかったらしい。東武がのんびりしているうちに中国企業に商標登録されてしまったために使えなくなったのだそうな。うーん。

《東京天空樹》ってのは「東京スカイツリー」より、はるかにカッコいいネーミングだったのになぁ。


母がまた入院。今度は前回のとは別口。手術というような大仰なことにはならない。歳を取ると躰のメンテナンスだけでもなかなか大変だな。

とはいえ、独りで空いている病院を探して行き先もちゃんと説明せずにいきなりタクシーでホイホイ出かけてしまうというのは、ちょいと困りモノ。その程度には元気だということではあるんだろうけれど(^_^;)

あ、もちろん、現在、入院先は確認済みです、ハイ。


立ち読み課題図書、ご注文その他

ご注文あり。詳細は、「取説マニュアルより先に読んでいいかもしれない入門書/近藤純夫『デジカメ撮影のコツ』(平凡社新書)」 はてなブックマーク - 極私的脳戸/日々の与太 » 取説マニュアルより先に読んでいいかもしれない入門書/近藤純夫『デジカメ撮影のコツ』(平凡社新書)を参照されたし。


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ご注文あり。へぇー、こういう本があるのかぁ。森山大道の作品となるととくにお若い人だと好き嫌いがわかれそうだけれど、僕はちょっと興味があるな。書店で探してみっか。


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以上3冊、立ち読み課題図書。もうチェックしてからずいぶんになるのだけれど、近所ではお目もじ叶わない。実家界隈の書店事情はかなりアレというか大和川以南は深刻なのかもしれない。仕事でどうしても、ということになると大和川を越えて北上しなければならないという目にすでに何度もあっている。23区内で生活していたときには想像もできなかった(わけでもなかったかなぁ)事態だ。うーん。




最終更新:2014-04-25 14:20:49  
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南海電鉄バス一条通停留所。沿線住民の方々にとっては至極日常的な眺めには違いないのだろうが、初めての慣れない利用者には不条理としか云いようがないだろう。


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おわかりいただけるだろうか?


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これではどうだろうか? この次のバス停、「堺東駅前」だけであれば何の問題もない。しかし、右側の「続いて一条通」とはどういうことか? 次が「続いて一条通」というバス停ならば、奇妙な名前だと思いはしてもまだ理解できるのだが、文字の大きさからお察しいただけるように、これは「続いて(次も)《一条通》(という同じ名前のバス停だぞ)」という意味なのである。

この次の「一条通」は、それなりの長い時間待たされることのある信号のある大きな通り*1を渡った先にあって、しかもそこがそれなりに利用者のいる堺市民会館の最寄り停留所になっている。幸か不幸か現在は建て替えのため市民会館は閉まっているけれど、開いていた時期にだってこのバス停が存在していたとするなら、というかたぶんしていたんぢゃないかと思うんだが、細かな事情を知らない初心者乗客の中にはバス停を間違えて要らぬ不愉快を味わったというヒトもいたんぢゃないのかなぁ*2。うーん。

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さる催し物の案内

こういう案内で、初めて市民会館を利用するヒトが停留所を間違えずにバスを下車できるだろうか?*3


一つのバス停に複数のバス路線の利用があること*4や、近隣に異なるバス路線の同名バス停が複数点在するということなら珍しくも何ともない。東京都心をぐるリと取り巻く通りの一点のみに「明治通り」というバス停が存在することもすでにここで取り上げた*5。しかし、同じ路線の異なる場所に同名のバス停が存在するというのは、かなり珍しいケースではないか。それともそれは単に僕の世間知らずな云い草であって、日本にはそこいらじゅうに見られるありふれた日常的な景物なのだろうか? まさかそんなことはないと思うんだがなぁ。うーん。


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  • 注1 というかぁ、実際にはこの大きな通りこそが「一条通」の本命、ご本尊なのだがぁ。cf. Ichijodori - Google Maps。この地図中央、赤い点線で囲まれているあたり中央の通りが「一条通」。写真のバス停は「一条通」に直交する中央環状線(国道310号線)に面している。つまり、どちらも「一条通」に面したバス停ではないのである。
  • 注2 もちろん、案内パンフレットの類には「続いて 一条通」のほうに「一条通(市民会館前)」と註釈をつけるものもないではない。車内の録音アナウンスでも「市民会館へお越しの方は、2つ目の一条通で……」と一応の説明がなされはする。けれど、そんな説明のない案内の類はいくらでもある。それに、そもそも車内アナウンスの詳細に関心を向ける乗客ばかりというわけにはいかない。停留所ごとにスポンサーの宣伝と思しき「ホニャララ商店へお越しの方は……」というアナウンスが加わるのと区別もつきにくい。そういう宣伝同様聞き流してしまうヒトも多いのではないか?
  • 注3 ちなみにこの案内には、もう一つ問題がある。「南海高野線堺駅南口から南海バス乗車 一条通バス停下車」とあるのだが、この世界には「南海本線堺駅」はあっても「南海高野線堺駅」は存在しないのである\(^o^)/。もう昨年終了した催しの案内だから、ここからはリンクしない。このエントリを書きながらググって出喰わしたので、間違っているのを知りながら当該ページ関係者に知らせなかったというようなアレではない。為念。
  • 注4 写真の「一条通」もそういうタイプのバス停であることは、次の停留所が2つあることでおわかりいただけるだろう。
  • 注5cf. 「『明治通り』の謎」 はてなブックマーク - 極私的脳戸/日々の与太 » 「明治通り」の謎「気になるバス停」 はてなブックマーク - 極私的脳戸/日々の与太 » 本日の埋草/気になるバス停


最終更新:2014-04-25 14:29:27  
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この碑が建っているだけなのだけれど。しかも、府営住宅の一画というか片隅というか、最寄り駅からの案内もないので、予め調べておかないと初めてのヒトがたどり着くのは困難だろう。おまけに碑にだって「明治天皇がここに来たことがあるぜ」ってな内容しか記されていないんだもん、目にしたってただちに紡績所跡だなんてわかんない。写真右下に見える金属板の小さな文字がここに堺(戎島)紡績所があったことを教えてくれるのみだ。もしお出かけになられる際は、「大阪府堺市堺区戎島町1丁41」(Google Maps) はてなブックマーク - Ōsaka-fu, Sakai-shi, Sakai-ku, Ebisujimachō, 1丁41 - Google MapsとGoogleででも確認されたほうがいいだろう*1

堺事件、妙國寺と取り上げて*2、さて次に堺の近代史を辿る目に見えるブツというと何があるのか、そもそも堺史に詳しいわけでもない自分としては、これくらいしか思いつかないんだけれど、ブツといっても堺事件同様、碑しかないんだなぁ。うーん。

堺事件の「次に」といっても単純な年代の問題。堺紡績所は、堺事件の2年後1870(明治3)年、日本で2番めに作られた様式紡績工場。1867(慶應3)年、自藩内に紡績所を作った薩摩藩が、田舎ぢゃ商売にならないってことで堺に設けたということなのだそうな。当時は河内・和泉は木綿の産地だったし、取引の中心地だった大阪も近い。開業時の名称は「島津綿糸場」。しかし、紡績所の業績そのものは必ずしも良好とは云えず、廃藩置県を契機に72年国有化されている。その後民間に払い下げられ、あっちこっち、最後は岸和田紡績会社に吸収合併して1933(昭和8)年に閉鎖解体。ウェブで探した範囲だと建築の概要がわかる写真さえ一枚も見当たらない。工場の建築なんて近代日本人にとってはさほどの意味の認められないものだったんだろうか。んなわけもないだろうに、という気もするんだけれど。うーん。

2番目といっても、というか2番目だからこそなんだろうけれど、本格的な近代的紡績所として作られた。そういう意味では「初めて」みたいなもんだったんぢゃないか。国有化後は見物料をとっても見物人が列をなしていたんだそうな。ちなみに見物料は10銭、決して安いといえるようなモンぢゃなかったんぢゃないか。明治政府ってのはずいぶんケチンボだったんだな。明治天皇がわざわざやって来たのもそういうとこいらへんがあったからなのかな。

碑は1877(明治10)年、明治天皇関西行幸の折の視察を記念してのものらしい。碑に「堺紡績所」の名が刻まれていないのは、作るときには場所そのものの永続を信じていたからなんだろうと考えていたのだけれど、実際に建立されたのは1940(昭和15)年。えぇぇっ!、もう紡績所解体後なんだから、この場所がどんな場所だったのか、パッとわかるような字句くらい入れとけよってなもんだと思うなぁ。ぶー。

ちなみにこの折に明治天皇が腰掛けた椅子、熊野小学校に保存されているんだそうな。見たことないけど。


それにしても、幕末から明治の移り変わりというのは目まぐるしいものだなと思う。堺紡績所のことだってそうなんだけれど、明治元年から3年の間だけでも堺をめぐっていろんなことが起こっている。書くのは面倒臭いし大して調べもしないうちに書くとボロが出ること間違いなしだから止すけれど、たとえば明治元年権判事、2年に堺県知事、3年には知事を解任された小河一敏おごう かずとしのその3年間だけでも長編小説のいっちょあがりくらいになるんぢゃないだろうか。それ以降だってまぁびっくりするようなアレコレが続くのだけれど。


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上の写真にも写っているのだけれど、僕がおとなったときには碑の足下で、ねこ様がお昼寝であった。


参考文献、みたいな

  • 堺紡績所[ググる!]

    堺紡績所については、上のいい加減なエントリよりは頼りになる\(^o^)/

  • 堺意外史 Vol.15 〜 ツールド堺 〜 はてなブックマーク - 堺意外史 Vol.15 〜 ツールド堺 〜

    堺紡績所となると、日本で2番めの本格的近代的紡績所という話題がネットで読める中心的話題なんだけれど、労働争議の歴史でもそれなりに有名らしい。著者の中井正弘氏はリンク先サイトのプロフィールには書かれていないけれど、元堺博物館副館長。「与太」でもすでに氏の『南蛮船は入港しなかった―堺意外史』(澪標)に何度か触れている。

  • 別所やそじ、尼見清市『むかしの堺』(はとぶえ会、1976年)

    見物料の具体的金額はこれからとった。はとぶえ会が出したものは、なかなか見当たらないけれど、94年に『むかしの堺〈続編〉』(はとぶえ会、1979年)と合わせ再編集、株式会社あかがね はてなブックマーク - マニュアル制作 カタログ制作 3DCG制作 印刷 翻訳 DTP編集 株式会社あかがねから出版された『むかしの堺』(あかがね文庫)のほうなら探しやすいかもしれない。図版もはとぶえ会版よりずっときれいになっているし*3、むやみに仮名だらけだった表記も適宜漢字に直され、やたらに広かった行間も大人の読みやすい幅になっている。記事内容、個別の項目でははとぶえ会版と変わりはないみたい。全部確かめたわけではないけれど、「堺紡績所」については同じだった。アマゾンには置いてないしISBNも記されていないが、父親の書斎を整理していたら出て来た手許のものの奥付を見ると2002年第3刷とある。興味がおありなら版元にお尋ねになるといいんぢゃないかしら。

  • 小河一敏[ググる!]

    いろいろ波乱のあった人生だったのね。



最終更新:2014-04-23 01:50:27  
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大阪府西堺警察署の福田交番。

なんだかずいぶん独特。単純に下手糞ときめつけるにはもったいない魅力がそこはかとなく漂う。


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日本の警察のシンボルマーク*1

よく見ると警察のシンボルマークもずいぶん独特。フツーは右図の通りだよなぁ。五角形に収まる全体のバランスがまったくない。大きめの光芒が全部で7本。

有名な書家さんが書いたんだろうか。それともやっぱり近所の子どもたちの書いた字を寄せ集めてまとめたんだろうか。魅力的には違いないが、判断には大いに悩む字とシンボル、人心を惑わす看板ぢゃないか。

うーん、どうしてくれようかぁ\(^o^)/


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最終更新:2014-04-22 12:06:50  
20140419211808

一体どういう計画/無計画によってこういうパッチワークは出来上がるものなんだろう?


へぇー!っと思った話を一つ。

さて、私たち現代人は通常、狩猟採集社会→農耕社会→産業化(ないし工業化)社会という大きな歴史の流れを“進歩”ととらえ、また実質的にはそのプロセスにおいて「豊かさ」が増大してきたと考え、またそう教えられてもきているので、そうした理解の枠組みからすれば、狩猟採集社会などというと、食糧の欠乏やその不安に常に脅かされた(あるいは食糧や資源をめぐる抗争に明け暮れるような)貧しい社会、と当然のように思いがちである。

しかしながら、ある時期からの人類学的研究は、そうした通念が根本的に誤っており、むしろ狩猟採集社会は「最初の豊かな社会」と表現されるような、食糧や労働時間等における生活の豊かさを実現していた社会であることを示すようになった(その先駆的な代表的著作としてサーリンズ[1984]*1)。

最近の例では、アメリカの経済史家のグレゴリー・クラークは『10万年の世界経済史』の中で「原始社会の住民は、1800年当時のもっとも豊かな社会の住民に匹敵するほど、高水準の生活を送っていた」とする。

そして「1960年代以降におこなわれた、狩猟採集民と自給農耕民の時間配分に関する体系的調査の結果、狩猟採集社会での労働時間は驚くほど短いことがわかった」としつつ、「このように、紀元前1万年と西暦1800年を比べると、物質的生活水準は同じだったと考えられるものの、狩猟採集社会の労働時間は短かったとする人類学者の説が正しいならば、定住農耕社会の成立を機に労働時間が長くなったことで、実質的な生活水準は下がった可能性が高い。新石器革命(引用者注:農耕の成立とほぼ重なる)*2は余暇の増大はもたらさず、労働時間が延びても物質的な見返りはまったく増えなかったのである」と述べている(クラーク[2009]*3

広井良典『創造的福祉社会』(ちくま新書)pp.167-169

ここで語られる労働時間の問題が正しいとするなら、國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)*4が議論の前提としていた人類進化にかかわる話はけっこうぶっ飛んぢゃうんぢゃないかしら? 農耕社会のヒトよりも狩猟採集社会のヒトのほうが暇と退屈を持て余していた可能性が高いことになっちゃうもんね、労働時間がうんと短かったのなら。もちろん、農耕社会以降の有閑階級ほどの暇と退屈だったかどうかはアレだけれど。

何にせよ、狩猟採集社会と農耕社会の労働時間の話には、とりあえずびつくり。

要するに農耕ってのは、狩猟採集に適した自然環境のないところに人類が進出した結果生まれたということになるらしい。

しかしまぁ、いったんそう云われてみると、農耕社会の起源としてはそれ以外考えられないような気もして来る。いい加減なヤツだな>自分\(^o^)/




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